はじめに

タラパトンホテルの正面

私達は12月23日の飛行機でプーケット入りをして、パトンビーチのほぼ中心部、そして海より200メートルくらいのところに位置する『タラパトン・プーケットホテル』に滞在していました。部屋は比較的海に近いスーペリアルームの1階で、プールへは部屋のテラスから直接降りることができました。

ホテルの場所を説明すると、タラパトンホテルはパトンビーチの中心街、Banglaロードより一本北のSawadirakロード側に正面玄関があり、朝食を取るレストランはThaweewong(ビーチ)ロード、プーケットカバナを正面に見る長方形のかなり敷地の広いホテルです。中庭には広いプールが2箇所ありそれを取り囲むようにホテル棟が建っていました。そして私達が泊まった部屋はこのホテルでもかなり海に近い部屋でした。

地図はこちらがパトンの全体地図、Phuketwalkさんの地図がもう少し詳しいのでこちらもあわせてご参照ください。

12月24日はホテルのプールで遊んだり、パトンビーチで泳いだりしてのんびりし、25日はプーケットからスピードボートで30分ほどのラチャ島へ一日ツアーへでかけ、さらさらのパウダーサンドと遠浅で透明な海を堪能してきました。そして26日はまる1日ホテルとビーチでのんびりする予定でした。

12月26日 午前8時30分

朝食をとったレストラン/散歩をした後 部屋からプールへ

ビーチロード沿いのホテルレストランで朝食 リゾートの穏やかな1日の始まりでした。

9時00分
海岸沿いやホテルの周辺をのんびり散策
9時50分
ホテルの部屋正面のプール(海側)で夫と子ども2人が遊び始める。自分はテラスのイスに座ってPCの写真整理をする
10時ごろ
突然、人々が大声を上げながら逃げ惑い、海の方向から走ってきました。
私はとっさに無差別テロと思い、『お父さん、子どもたちを早く捕まえて逃げて!!』と大声で呼びました。ところが家族を部屋に招き入れてカーテンを閉めようとすると、人々が口々に『GO UP! GO UP!』と叫ぶのが聞こえたため、まずは3人を部屋の外へ逃がして、私は火の付いた蚊取り線香を消し、それから電源が付いたままのPCを高いところへ上げ、貴重品だけを持って同じ方向へすぐに逃げました。
タラパトンホテルでは、海からいちばん奥まったところがデラックスルーム棟になっており、そこが鉄筋4階建てで最も高い場所になります。そこで人々は皆、4階か屋上へ逃げました。
まだこの時は『水』が来たことしか分からず、何がなんだか分からない状況でした。私たちもとりあえず4階の廊下へ避難しました。

4階建てのデラックスルーム棟/第一波後 サワディラック・ロード

10時15分頃
少しすると落ち着いたので、デジカメを持って2階にあるホテルフロントへ降りていきました。ホテルの前の道"サワディラック・ロード"は、水深が太ももくらいまであり、いろいろなものが流れていました。その中には水死したであろう男の人も浮かんでいました。この時はまだ車は数台しか流れてきていませんでした。
はじめに逃げるときに何も持ってこなかったし、夫も子どもたちも水着だったので、一度部屋に戻ったところ、幸いにも浸水はしていませんでした。着替えとバスタオルと(まずはしばらく避難することを考えて)あるだけの飲み水や菓子類をバッグに詰め込みました(でも手がブルブル震えてなかなか荷物がバッグの中に入りません)。それからPCの電源を切って部屋の一番高いところへ上げ、スーツケースをベッドの上にあげました。
やっと荷物を持って部屋を出たところで再び人々が『逃げろ!逃げろ!』と叫ぶので、私もあわてて逃げました。この時はサンダルを履いていたため、速く走ることができなかったので、サンダルを脱ぎ捨て素足で逃げました。ただ、こういう災害時には素足でいるとガラス等でけがをしてしまうことが多いので、万一の時に速く走れるように、途中で予め持ってきておいた靴に履き替えました。おそらく、この時が2度目の津波であり、壊滅的な被害を起こしたものだったと思います。
ホテルのスタッフは避難誘導するどころか、率先して高いところへ逃げていました。日本では信じられないことですが、ホテルでは万一の避難体制が全く整っておらず、滞在中一度もホテルからは避難の誘導がなかった上、再び津波が来るとスタッフが真っ先に逃げてしまい、誰もいなくなってしまいました。
電気も電話も使えず情報も一切なく、さらにホテルは全くあてにならないので、自分の身は自分で守るしかありませんでした。
私達が避難していたホテルの4階にも負傷した人々が大勢集まり、体中に切り傷を負った人や歩くことも出来ない人、それから全身ずぶ濡れで砂まみれの人なども大勢いました。
目の前のカバナホテルの部屋が倒壊して、命からがら逃げてきたという日本人ファミリーにも出会いました。彼らはパスポートも航空券も現金も何もかも流されてしまったそうです。

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