最後に

今まで長々と書いてきた体験記もようやく今回で終わりになりそうです。くしくも今日は2月26日、津波からまる2ヶ月たったことになります。この2ヶ月は長かったような、短かったような、でも私たちは相変わらず平凡な毎日を送っています。

しかし2ヶ月たった今でも所在不明の方はたくさんいて、シンガポールの空港で知り合いになったファミリーの安否もまだ確認できていません。西訪旅遊の「のっち」さんからメールをいただき、phuketcity.comという行方不明者の捜索サイトがあることを教えていただきました。

ただ残念なことにファミリーの名前を聞かずに別れてしまったため、彼らの行方を検索することはできませんでした。このサイトを見ると、多くの人が未だ行方不明という現実をいやがおうでも実感させられます。しかも行方不明になっているのはカオラックやピピ島のよく名前を知っているホテルの宿泊者ばかりです。

12月26日にパトンビーチにいた私たちは、避難しながらも一体何が起こったのか全く分かりませんでした。日本に帰国後、今回のスマトラ沖地震・津波災害について書かれているサイトを見つけ、あらためて津波の怖さを実感してしまいました。

防災システム研究所
このサイトの中で紹介されている写真で右側の上らか3番目の写真はまさに私たちが泊まっていたタラパトンホテルの正面、サワディラックロードです。

頑張れプーケット!

Photos by Andaman Graphics Co. Ltd. Phuket

PHUKET PHOTOS.COM

プーケットのベストシーズンは12月から3月で、毎日とてもいいお天気が続き波も穏やかです。年末年始のプーケットはホテルはほぼ満室、年間で一番のかきいれどきです。そんなベストシーズンの真っ只中でこの悲惨な天災が発生してしまいました。

プーケットは観光で多くの収入を得ています。観光業に携わる人も多くいます。私も以前はプーケットで観光業に携わっていたひとりで、日本語ガイド、現地旅行会社にもたくさんの知り合いがいました。観光客が激減したプーケットで、彼らの今後がとても心配です。プーケットは今必死にキャンペーンをやっていて、「みなさんぜひプーケットに来てください!」と切実に訴えています。

しかし、こんなことを書いている私自身が今はまだプーケットへ行くことができません。とても矛盾しているとは思いますが、多くのツーリストがプーケットを訪れ、以前のような活気のある島に少しでも早く戻るよう願っています。プーケットで津波の被害にあった場所は一部の地域にしか過ぎません。そして急ピッチで街の復興が進んでいます。そんなプーケットを応援するサイトがいくつもあり、復興の様子を伝えています。

タイプーケット復興委員会 日本人会
プーケット在住の日本人によるオフィシャルの復興サイトです。私がプーケットに住んでいた十数年前は数えるくらいしかいなかった日本人も今や100名を超える方がプーケットに在住されているようです。その方たちが一致団結してプーケットを盛り上げようと努力されています。リンクも数多くここから得られる情報量はとても多いです。
PHUKET PHOTOS.COM
この中の2月19日と20日の写真でうれしい発見をしました!何と私のお気に入りの屋台が復活していました。津波でイスもテーブルも全部もっていかれてガランドウのようになっていた屋台に新品のイスとテーブルが置かれていました。それからすぐ近くの公園でも新しい遊具で子どもたちが楽しそうに遊んでいる姿も見られました。プーケットは少しずつ復興しています!

これで、2ヶ月に渡った私たちの津波体験記は終了です。みなさん最後までおつきあいいただき、また感想もいただきありがとうございました。

今はとても複雑な気持ちです。亡くなった大勢の方のことを思うと、手放しで自分たちの無事を喜ぶことができません。また、みんなにプーケットに行ってもらいたいと思っても、まだプーケットには行けない自分がいます。

でもいつの日かまたプーケットに行ってみたい。必ず行ける日が来ると思います。

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