カバナ全壊

第二波後 ホテル前の様子/全壊したカバナ

避難場所では、倒壊してしまったカバナホテルの宿泊者で、部屋から逃げてきたという日本人ファミリーにも出会いました。彼らはパスポートも航空券も現金も何もかも流されてしまったそうです。

のぶをが聞いた彼らの話;

波は2回来た。1度目で部屋が浸水しまい、ひとまず家族を陸地側へ避難させ、自分が貴重品や荷物をまとめて避難の準備をしていたところ、2回目の波が来るのが見えた。しまったと思い急いでドアを閉めると、ドアよりもはるかに高い波が襲ってきた。水はドアも窓も押し破り、その勢いで一息に部屋から外へ流された。あちこちに体をぶつけたものの大事には至らず、陸地側へ漂っていたところで水から外へでることができた。

大人も子どもも、たくさんの人が流されていた。彼らの何人かは助からないかもしれない。流されるときは何も考える余地がなかった。物は失ったが家族が全員助かっただけ良かった。今日帰国する予定だったが、これからどうしたらよいかわからない。失った物として一番惜しいのは、思い出をたくさん撮ったデジタルカメラだ。

※当時の記憶にもとづいて綴っているため、事実とは異なる点があるかもしれません。ご了承下さい。

11時過ぎごろに再びホテルの前のサワディラックロードに降りていったところ、車やバイクやジェットスキーなどが幾つも流れ着き、重なり合い一度目よりも悲惨な状況になっていました。私が慌てて逃げたすぐ後に大規模な第ニ波がやってきて、大きな車やジェットスキーを押し流して壊滅的な状況になってしまったようです。私はただその光景を呆然と見つめるしかありませんでした。道路からの高さが2メートルはあるフロント下にまで水が来て、イス・ゴミ箱・やしの木・ドラム缶など、様々なものが流れ着いていました。土産屋の軒先から流れてきたのでしょうか?マネキンが数体転がっていたのを見てドキっとしてしまいました。

きっとこれだけの水が来たのであれば1階の部屋にある自分達の荷物もPCもダメになってしまっただろうな…と絶望的な気持ちになっていました。またロビーには体から血を流したツーリストがたくさんいて、その多くは水着を着ていました。恐らくビーチに出ていて津波に遭ってしまったのでしょう。あちこち救急車のサイレンが鳴り響き、まるで戦場のようでした。

Mさんに出会う

ホテルのフロント下まで水が来ていた(水が引いた後に撮影)/助かった人もアザや切り傷だらけ

暗い気持ちで夫と子どもが待つ4階に戻ろうとしたところで、『あの、日本人ですか?』と小さいお子さんを抱いた日本人男性(Mさん)に声をかけられました。

話を聞くと、家族4人でパトンビーチで泳いでいたところを津波にまきこまれてしまい、Mさんと下のお子さん(1歳)は無事だったものの、第二波で奥さんと上の子(3歳)とはぐれてしまったそうです。必死で探しても見つからないのでホテルに戻ってきたところ、奥さんとお子さんがパトンの病院へ運ばれたというメモがフロントへ残されていたそうです。しかし、この時点で二人の安否は分かっていませんでした。

よく見るとMさんも体中が傷だらけで見るからに痛々しい。下のお子さんは裸でした。地元の人が病院へ連れてくれていってくれると言っていたのに待てど暮らせど迎えに来ない、とおっしゃっていました。とりあえず、彼に4階の避難場所へ来てもらって詳しく話を聞いてみました。

のぶをがMさんから聞いた話;

家族でビーチに出た。上の子に浮き輪をつけてから、一緒に波内際に入ろうとすると、すーっと波が沖に向かって引いていった。潮がどんどん引いていったので、それを追いかけていくと、遊泳区域のブイが上がってしまった。海面が下がっているのだ。

これはおかしいと思いながら周りではね回る小魚やカニを見ていると、水平線が白くなっているのに気づいた。波が来ている。大きな波だ。子どもを抱きかかえて陸に向かって走った。家族4人で逃げて、第一の波を何とかやり過ごした。たくさんの物が、車までもが押し流された。波が収まった後、カバナホテルの周りでは、宿泊客が怪我をした海水浴客の手当をしたりしていた。

しばらくすると、今度はさらに大きな波が来ているのに気づいた。ジェットスキーの若者が波にのまれていった。波の高さは彼の背丈の3倍以上あった。先ほどの波とは比べようもないくらい巨大な波だ。様子を見て慌てながらも妻は、上の子どもを抱え、無我夢中になって平屋建ての屋根の上にふたりではい上がった。

自分は下の子を抱いたまま、波に押し流されるのに耐えた。が、それも波が来てしまうとつかの間のことで、自分と子どもとで一緒に波にのまれてしまった。あちこちに体をぶつけながら、ただ漂うに任せるしかなかった。途中、大きな障害物が波に流されてきて、自分にぶかりそうになった。また、ガズボンベが口を開けてシューシュー音を立てて流されていたりして怖かった。とにかく車も人も、流れに翻弄されていた。

妻は上の子と屋根の上にのぼった後、やはり波に飲まれてしまい、その後の行方がわからなくなってしまった。自分は体をあちこちにぶつけたものの、下の子とともに無事に逃れることができたので、とにかくタラパトンホテルに戻った。そこで、プールサイド・レストランの女性に下の子を預け、残りの家族ふたりの安否を尋ねて回った。すると、妻と子どもがパトンの病院へ運ばれたというメモがフロントへ残されていることがわかった。でも生きているのか、あるいは怪我の程度などは一切分からない。とにかく、一刻も早く病院に行かなければならない。

※当時の記憶にもとづいて綴っているため、事実とは異なる点があるかもしれません。ご了承下さい。

Mさんは脚に深い傷を負っていました。韓国から来た宿泊客がホテルの医薬品を調達してきて、消毒薬を原液のまま傷口につけると、Mさんは痛みにこらえきれず大きな声を上げました。その後、Mさんも下の子も着替えが必要だったので、彼は部屋に荷物をとりに戻りました。その間、私たちが下の子を少しの時間預かりました。

この後、彼が病院へ向かうときも下の子をよっぽど預かろうと思ったのですが(こどもがいない方が病院も行きやすいだろうから)、今のこんな状況でお子さんを預かっても安全の保障も何もできないし、これから何が起こるかも分からないので、お子さんはMさんにお返しして彼は病院へ向かってもらいました。フロントで尋ねたところ、ホテルまでは歩いていける距離にあったのです。彼は痛む体をかばいもせず、また弱気も見せずに気丈に病院へと向かいました。

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