からだが震えるほどの…

移動を試みたスーペリア・ルーム3階(被災前に撮影) しかし恐怖の体験をした

3階の部屋へ移動した後、1階の部屋に残したままの荷物の整理をするため1階へ降りていくことにしました。改めて部屋のドアを開け外を見回すと、私たちのホテルに隣接したパトンの町の様子が壊滅的な状態になっているのが目に飛び込んでました。

1階にいたときは全く見えなかったのですが、ホテルの隣は土産屋や現地の人の家があって、それらの土産屋も家もぐちゃくちゃになっていました。そこら辺に瓦礫やみやげ物が散乱しており車もあちこちに乗り上げています。それを現地の人たちがなすすべもなく見つめていました。私もその様子をぼ〜っと眺めていたら再び『逃げろ〜!!!』の声が上がり、地上のタイ人たちがわれ先にと慌てて屋根の上に登っていました。私もその様子を見て急いで部屋に戻り『また波が来るかもしれない』と緊張の時間を家族と共に過ごしました。

いざというときのために部屋からの避難経路を確認すると、どうみても部屋から出て廊下から海側へ向かう階段しか利用できそうにありません。部屋の窓から飛び降りようにも下はコンクリートですし廊下から山側へ向かう突き当たりは行き止まりになっていました。これらのことも不安をいっそうかき立てました。

しばらく様子をみたところ津波は来ないようでした。再び1階の部屋に降りていこうとすると何やら騒がしい声が聞こえてきました。恐る恐る進んでいくと、2階の踊り場にエアコンの室外機のが設置されていて、その上にタイ人の男がギターを弾きながら座っていて嬌声をあげていたのです。しかもウイスキーを瓶のままラッパ飲みしてかなり酔っていました。彼はタバコも吸っていたのですが、近くには瓦礫が散乱しているので火のついたタバコを投げ捨てられたら火事にもなりかねません。プロパンのボンベもあちこちに転がっていて、いつ火がついてもおかしくない状況です。そして何よりもこの狂った男に見つかったとしたら何をされるかわかりません。

私はこの男の脇を通らないとどうしても1階の部屋にいけなかったので『どうか見つかりませんように!』と心の中で祈りながら、こっそりそして素早く男の後ろを通り過ぎました。もう心臓はバクバクして足もブルブルと震えながらも、幸運にも何とか見つからずに1階に下りていくことができました。

部屋の前はすでに水が引いていたものの泥とゴミが散乱し、異臭を放っていました。部屋のドアを閉めてしまうと真っ暗になってしまうので、ドアを開けたまま荷物の整理を始めました。これまたイカれた輩が略奪をしに部屋に押し入ってくるかもしれない、そして津波が襲ってくるかもしれないという恐怖の中の作業でした。整理なんて悠長なことはとてもいってられず、とりあえず震える手でスーツケースに荷物を押し込みまくりました。

3階の部屋に戻る時、偶然に男の前を通らなくても部屋にいける階段をみつけたので、今度はそちらを利用しました。相変わらず男は奇声を発しています。3階の部屋に戻った時に私の恐怖はもう頂点に達していました。むっとする熱気、鼻を突く異臭、いつまで経っても復旧しない電気と水道…『もしかしたら、裏の瓦礫から火が出るかもしれない』『海に近いので3階といっても危ないかもしれない』『あのイカレタ男が襲ってきたらどうしよう?』そんな恐怖感でもうこの部屋で夜を過ごすことはできなくなってしまいました。

このとき私たちが体験した恐怖感は、波から無我夢中で逃げたときとは異なるものでした。その恐怖感は視覚、聴覚、嗅覚など、体のあらゆる感覚を通じて襲ってきて、このままではいけないと本能を刺激するような警告として感じられるものでした。

デラックスルームへ

ゆとりのデラックスルーム

そこで再びフロントへ行って先ほどのマネージャーに『今の部屋では怖くて眠れない。それに変なタイ人がいるので部屋にいるのも怖い、できれば新館のなるべく階の高い部屋に変えて欲しい』と訴えたのですが『今は停電中なのでカードキーシステムのデラックスルームは部屋に入れない』といわれてしまいました。このときはさすがに途方に暮れました。

ところがあきらめて交渉を終えようとしたその瞬間に、なんと電気が復活したのです!この偶然にはホテルの人も大変驚いていました。『新館はデラックスになるので1泊につき1,000バーツUPになるがそれでもいいか?』と聞かれたので『1,000バーツ(3,000円)で安眠が買えるなら安いものだ』と答えたところ、快く新館(山側)の4階の部屋に変えてくれました。新館の4階は先ほどまで私たちが逃げていたエレベーターホールがあったところです。すぐに家族で部屋を移動し、夫にスーツケースを運んでもらい、やっとひと安心できました。

夫には『もしエレベーターが動いていても絶対に乗らないでね。また停電になったら閉じ込められてしまうから』とお願いし、私たちは滞在中絶対にエレベーターを使いませんでした。

今までいたスーペリアルームとデラックスルームは1泊あたりで3,000円しか違わないのに部屋の広さや設備は雲泥の差がありました。これだったら最初からデラックスにしたほうが良かったのかな?とにかく快適な部屋でゆっくりシャワーでも…と思ったけれど18:00の時点で電気は戻ったものの水道と電話は復旧していませんでした。電話は28日のチェックアウトまでとうとう復旧することはありませんでした。

のぶを 手記

スーペリアルーム3階へ移ったとき、それから次にデラックスルーム4階へ移ったときと、それぞれユリと互いに「ここで波が来たら大丈夫かな?」と何度も確認しました。子どもたちは避難することに飽きてしまい何度も「いつになったら遊べるの?」と聞いてきました。またサクラは私たちの話を聞いただけで津波を大変怖がりました。

スーペリアでは被災後にも1階に滞在している人がいました。そのため自分たちもここ3階で我慢するべきだろうかと、エアコンが効かないためにじっとしていても汗が流れ落ちてくる中で、何度も考え、ふたりで話し合いました。でも電気も水も使えないからシャワーも浴びられない…風通しを良くしようと廊下側のドアを開けようにも誰かが襲ってくるかもしれない…避難経路も海側にしかない…そんな不安を抱えたままでは、とても家族で一晩を過ごせないと結論づけてユリが交渉に向かってくれました。

その後デラックスルーム4階へ皆で移動したわけですが、スーペリア3階と元の1階の部屋から荷物を移動させるのは大変困難でした。時刻は現地時間で18時くらいになっており、かなり暗くなっていました。荷物をまとめスーツケースを転がす自分の手は、やはり震えていました。ユリと同じく不審者と津波、その他火災発生などが生じないか、不安におびえながら移動しました。

最後に元の部屋を出る前に荷物を点検していて、自分の緑内障用点眼薬を忘れかけていたことに気づいた時はとてもラッキーに思えました。何かこれですべてこのあとはうまくいってくれるような予感めいたものを感じました。新しい部屋まで2往復してやっと荷物を運び終えたときは本当に安心しました。そしてこの日はじめてのビールを口にすることができました!

このあとフロントのロビーへ元の部屋の鍵を返しに行ったのですが…その時に幸運にも、ある方に出会うことができました。

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