Mさんとの再会 (のぶを記)

ホテルのロビーとフロント ともに被災直前に撮影したもの

私たち家族がスーペリアルーム1階からデラックスルーム4階へ移動を済ませた後、フロントへスーペリアの部屋の鍵を返却に行きました。その際にもし前の部屋に何か忘れ物があるといけないと思い、翌日にもう一度確認することができるようにまた鍵を貸して欲しいとお願いをしておきました。フロントはいろいろな問い合わせの対応に追われてたいへん忙しいようすでした。

用件を終えて部屋に戻ろうとするまさにその時、そのフロントで偶然にMさんと会うことができました。私たちがエレベーターホールに避難していた時にMさんは病院へ家族を探しに出て、それ以来の再会になります。体にはたくさんの傷がありましたが、とても元気そうでした。

ご家族のようすを尋ねると『命に別状はなく、みな元気』とのこと!本当にラッキーでした。ただ上のお子さんは波に流された際に手首に切り傷を追っており、病院で手当を受けた後も痛がるので、ホテルでもう一度消毒をしていたところでした。

また奥さまは避難中に建物の屋根に登って波を避けようとしていたところ、給水棟が落下して腰に直撃し、大変なダメージを受けたそうです(パトンの病院では骨に異常はないという診察を受けていたのですが、帰国後に再検査をしたところ頸椎を骨折していたことがわかったとのことでした)。病院にはけが人があふれまるで戦場のようで、症状がよほど重い方でないと診察を受けられない状態だったそうです。

Mさんの方から買い出しなどに行くのであればレンタカーで回りますと言っていただきました。とりあえず、Mさんが部屋の移動などの手配をするのであれば、ユリの方で何か手助けできることがあるかもしれないのでユリにバトンタッチをしようと思い、再びフロントで落ち合うことにしてその場を別れました。

ホテルの外へ

ホテルのロータリーからサワディラックロードへ 被災した夕方に撮影

Mさんは車を借りていてたので、その日の夜はMさんの車で夕食の買出しに出かけました。津波の後、この日はじめてホテルからの外出です。ホテル前のサワディラックロードは瓦礫の山で、それをさけるようにビーチロードより1本山側に走るラーユーティトロードに出ました。驚いたことにビーチから500メートルも離れていないのに、この辺りは全く被害を受けていなかったのです。ただ店の主人が逃げてしまったのか、オープンしていないお店も半分くらいあったように記憶しています。信号機が動いていなかったので、車もバイクも入り乱れある意味とても活気を感じました。パトンからプーケットタウンへの道は、パトンから逃げる人達の車で大渋滞しているようでした。Mさんが屋台を見つけてくれて、そこでタイラーメンを買いました。1杯25バーツ(70円)のラーメンを袋に入れて持ち帰り部屋で食べました。Mさんはタイ語がお上手でおばちゃんに手際よく注文していました。

簡単な夕食を食べ終わると時刻はもう21時近くになっていました。この頃にはお湯もでるようになったのでバスタブにお湯を張ってゆっくりお湯につかりました。子どもたちはベッドでいつの間にか寝てしまったようです。子どもたちはこの日の体験をどのように感じたのでしょうか?きっと『怖かった』ということより『何だかよく分からない』というのが正直なところだと思います。

ベランダから海の方向を眺めると、昨日まであれだけ明るかったパトンの海沿いの歓楽街が真っ暗になっていました。それに私達が今朝まで泊まっていたスーペリア棟は人が泊まっていないのか、それとも停電したままなのか真っ暗です。

これは後から知ったことなのですが、津波以降パトンで被害を受けたビーチロードとその付近一帯には非常事態宣言がだされ、一般人の立ち入りが禁止されていたそうです。そんなこととはつゆ知らず、私達は非常事態宣言の出された区域の真っただ中で過ごしていたのです。

それは再び津波が来る可能性があったのと、商店からの略奪を防ぐためだったようです。それにも関わらず略奪が横行していたようで、数日後、警察に捕まった略奪犯人が10人くらいオーシャンデパートの前で見せしめのために人目にさらされていたそうです。

私もビールを飲みながらずっとテレビに釘付けになっていたのですが、0時をまわる頃に寝てしまったようです。目が覚めたらもう朝になっていました。

停電 (のぶを記)

夜はなかなか寝付けませんでした…というか、また波が来るのでは?と思い、ずっとベランダから海の方を眺めていました。前の晩は夜中にプールで遊ぶ人がいたり、話し声が遅くまで聞こえていたりしたのですが、さすがにこの夜は静かでした。

何気なく、暗くなっている周りの部屋を見渡すと、他にもベランダから海を見ている人がいました。ふたり並んで小声で話しながら見ている人もいれば、ひとりで黙って眺めている人もいました。それぞれに津波の恐怖に対するいろいろな思いがあったことと思います。

突然、ばたんという音とともに、ホテルの電灯が一斉に消えてしまいました。それから急に周りが静かになりました。部屋の北面に大きな発電機があり、そこは部屋のドアを開けると中の話し声が聞こえにくくなるくらいに騒音を出していたのですが、それがストップしたために音が止んだのでした。

まもなく人々の騒ぎ声が聞こえてきました。部屋のベランダからホテルのロビーのある方を眺めると、懐中電灯を照らして何人かの人が集まって来ていました。中には怒ったようすで大きな声をだして何かを訴えている人もいました。私の部屋の懐中電灯は、他の部屋で電気がつかずに困っていた方に貸してしまっていたため使えませんでしたが、外の月明かりがじゅうぶんな光量をはなっていたため、特に不自由なわけでもないのでそのまま過ごしました。

停電で部屋のファンが止まってしまい、ユリも一度目を覚ましました。もともとエアコンは壊れて使えなかったのですが、ファンが回っていれば室内の空気が循環して暑さをしのぐことができていたものの、それが止まってしまい寝苦しさと外のざわめきで目が覚めたようです。でもようすを話すと、すぐにまた寝付きました。私も何もすることがないので寝ることにしました。

ところで津波の再来を恐れていた一部の人たちにとっては、この停電でさらに不安が高まったようでした。その後に彼らがとった行動を、当事者のひとりから翌朝になってから知らされたときには大変驚きました。

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