置き去り

デラックスルーム1階のレストランで朝食/そのままプールで遊んで過ごす

昨日まで朝食をとっていたタンタワン・レストランが津波で半壊したため、デラックスルーム棟の1階にあるレストランで朝食を摂ることになりました。コーヒーはインスタント、メニューはチャーハンかパンケーキ、それから目玉焼きやフルーツと前日と比べてしまうと明らかに質素なものになりました。おそらくホテルのレストランスタッフも半数は逃げたまま戻ってきていないのでしょう・・・しかし、この状況では仕方がないとホテルを責める気持ちはありませんでした。

朝食中に前日の被災時に知り合ったマレーシア人のファミリーから「昨夜見かけなかったがどうしたのですか?」と尋ねられました。『えっ?』と私が不審そうな顔をすると『夜中にまた津波が来ると人々が騒ぎ出して、ホテルのマネージャーがスタッフ全員で逃げることを決めた。そしてバスをチャーターしてホテルスタッフと宿泊客が山の寺に逃げてみんなで祈りをささげていた。しばらく様子をみたところもう大丈夫そうだったので山から下りてきた。そういえばあななたたちを見かけなかったから心配していた』というのです。

そんな話はまさに”寝耳に水”でした。だって私達はそんなことは全然知らずにぐっすり夢の中にいたんだもの。『信じられない!』というと今度はご主人のほうが『でも結果的に津波は来なかったから大丈夫。私達はそんなことですっかり寝不足で…』というんです。ホテルスタッフは情報をキャッチできた一部の宿泊客だけを連れて、そうとは知らず部屋に残っていた宿泊客を見捨て山に逃げてしまったのです!もう怒りを通り過ぎて呆れるしかありませんでした。『結果的に』津波は来ませんでしたが、もし大津波がやってきて私達が飲み込まれてしまったら誰が責任を取ってくれるのでしょうか?きっと誰も責任はとってくれない。やっぱり『自分の身は自分で守る』しかありませんでした。

奥さんのほうに私の名前と部屋番号の紙を渡し、『今度同じようなことがあったら私達にも知らせてください』とお願いしました。

後でMさんに聞いてみたら、Mさんも夜中の”事件”には全く気がつかなかったそうです。Mさんはほかの事でホテルへの不信感を持っていて直接抗議したらしいのです。ホテル側は素直に非を認めて謝ったそうですが・・・まったく宿泊客を置いて逃げてしまったなんてシャレにもなりません。。。

現地で流れる情報の多くは根拠のないデマに過ぎませんでした。余震が起きる度に『また津波が来るかもしれない』と人々はおびえ、『その話は本当か?』と尋ねると誰もが『Maybe』と答えました。日本のように観測および情報伝達システムが無いタイでは、「誰かがこういっていた」という話が大きく広がって人々の不安をかき立てていました。

日本に帰ってからよく聞かれたのが『津波の前に地震を感じたか?』という質問でした。地震のあった12月26日午前8時過ぎは多分ホテルの部屋にいたと思います。プーケットは震度1くらいしかなく私達は全く気がつきませんでしそのたし、その後の余震も体に感じることは一度もありませんでした。日本人であれば大きな地震があれば津波の危険を察知して海から離れることができたでしょう。しかし、体に感じるか感じないかくらいの地震では津波の襲来を予知するのはほとんど 無理なのではないかと思います。それが逆に『いつまた津波が襲ってくるかもしれない』という恐怖に変わりました。

朝食後はすることもないので、夫と子ども達は新館のプールで遊びました。プールには私たちの他にも数名の旅行客が日光浴を楽しんでいました。青い空、輝く太陽、子ども達の嬌声、ここだけを見ていると昨日の出来事がほんとうにウソのようのどかで平和な風景でした。

お昼は私が近くのコンビニ『ファミリーマート』まで、買い出しに出かけました。"物がほとんどないのでは?”という心配をよそに、コンビニの陳列棚には多くの品物が揃っていました。今回の津波で被害を受けたのはパトンビーチでも限られた範囲でしかありませんでした。日本に帰ってから『食べ物は手に入ったの?』と聞かれましたが、被害の全くなかったお店のほうが多かったので食べ物に困ることは全くありませんでした。

オフ会

27日のソイバンラー/閉鎖されていたオーシャンプラザ

まる1日ホテルでのんびり過ごして夕方になる頃、私は行こうかどうしようか迷っていたことがありました。それは日本出発前に掲示板でお友達になったマミィさんファミリーと、12月27日午後6時半にオーシャンプラザ地下のレストラン『スキスアンミー』でオフ会をする予定があったからなのです。

マミィさんご一家は昨日ピピ島に行かれていたはずでした。私の携帯電話の番号を事前にお知らせしていましたが、津波以降連絡が来ることはありませんでした。もちろん現地の電話はほとんど不通になっているので、電話をかけることすら困難なはずです。それよりマミィさんの消息も全く分かっていませんでした。

恐らく約束の場所にいらっしゃることはできないかもしれない・・でも『もしかしたら』という希望があったので、とりあえず約束のソイバンラーのオーシャンプラザへ家族で向かうことにしました。

ラーユーティットロードは津波があったのがウソのように活気がありました。子ども達とのんびり歩いて10分くらいでオーシャンプラザの前に着きました。ソイバンラーは瓦礫がまだ残っているものの、私達のホテル周辺に比べれば被害は少ない感じでした。それでも海から300メートルくらいのオーシャンプラザ前にもやしの木や廃材などが流れ着いていました。お店はほとんど閉まっていつのも活気は全くありません。オーシャンデパートは閉鎖され、警備員がひとり略奪を警戒してお店の警備にあたっていました。

マミィさんとの約束の時間、6時半を過ぎたのにみなさんがお見えになる気配はありません。オーシャンプラザの警備員に『友達と今日ここで会う約束をしているのにまだ来ない、友達は昨日ピピに行った』と話したところ、『自分はピピ島出身だ、ピピではJTBのツアー客8人が死亡したとニュースで言っていた』と言うではありませんか!マミィさんはJTBではないので多分違うと思いましたが、ピピでそれ程多くの日本人が亡くなったと聞いて愕然としてしまいました。(実際にその話は違っていたようですが・・)

待っている間こちらに話しかけてきた日本人カップルと話を少しして時間を過ごしましたが、マミィさんご一家がお見えになることはとうとうありませんでした。

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