オーシャンプラザの前で

オーシャンプラザの前で待つ

27日の夕方オーシャンプラザの前でマミーさんご一家を待っていると、若い日本人のカップルが話しかけてきました。『あのう、日本人の方ですよね?いったい何があったんですか?』と。『えっ、何って?』と思い話を聞いてみると、どうも彼らは津波のことをほとんど知らないようでした。以下は彼らの話の内容です。

”自分達は23日に個人手配でプーケットに来た。泊まっているのはパトンの海から離れた安宿で、部屋にはテレビもない。26日の朝はバイクで山の方へ遊びに行ったが、タイ人が山に鈴なりになっていたのでおかしいと思っていた。宿へ戻ってみると大家さんの姿が見えず、どうも大家さんは昨日から姿をくらましてしまったようだ。今朝になって海のほうへでてみたら、レストランもホテルもグチャグチャになっていて、いったい何が起こったのかまったく分からない。自分達は言葉も分からなし日本への連絡方法もないので誰にも聞けなかった。”

というのです。私達が今までのことを説明すると本当に驚いた様子でした。そして

”明日ピピ島へのツアーを予約しているけれど、予定通り行けるかどうか心配だ。ツアー会社にはお金を払っているのでできれば行きたいが、さっきお店を見てきたら営業していなかったので途方に暮れていた。果たして自分達はピピにいけるだろうか?”

私は正直びっくりしました。プーケットやピピでこんな大災害があったのにそれを全く知らない人がいた。しかも明日はピピ島へ行こうとしているじゃないですか!この時点でピピ島の状況は分かりませんでしたが『ピピ島で日本人8人死亡』という噂を聞いただけでも、ピピがどんな様子なのか想像がつきます。そのカップルにも状況を説明して『恐らく明日のピピ島観光は中止になるだろうから多分行くことはできないと思いますよ。とりあえずツアー会社のスタッフに交渉して支払済みのツアー代金を返してもらうといいですよ。』と話をしました。

チェンライシーフード

しかしツアー会社がその後店を開いたのか、彼らがピピへ行ったのかどうかは私には分かりません。彼らにはできるだけ海には近づかないよう、それから帰りの飛行機の予約を再確認した方がよいということをアドバイスして別れました。

その後すぐ近くの屋台街”チェンライシーフード”でタイ料理を食べました。屋台街は店頭にロブスター、カニ、エビ、魚など多くの魚介類がならべられ、、大勢のツーリストで賑わっていました。ここは海から500メートルくらい離れていたので、津波の被害はまったくありませんでした。翌日は昼前にホテルを出発して空港へ向かう予定だったので、この日がプーケット最後の夕食になります。私達は23日の夜遅くホテルに到着して、24日の夕食はホテルのガラディナーだったので、夜のパトンは津波前夜の25日にほんのちょっとだけ見て回っただけになってしまいました。25日の夜に下見をして『あとでゆっくりお土産を買おう』と思っていたお店は波で破壊されるか、閉鎖されていました。ですのでプーケットの記念として買ったものは何一つなかったし、お土産を買う余裕もありませんでした。

(のぶを手記)

オーシャンプラザは(自分の思い違いでなければ)25日の夕食をとったあとに簡単な買い物をしたところだと思います。また夕食の最中にレストランのトイレが故障中(水が出ない)だったため、オーシャンプラザまでトイレを借りに行ったりもしました。地下が食材売り場になっていて、食材や子どもたちのお菓子を買ったりしました。もし地下にいたときに津波が来ていたら?今さら、「もし」などと考えても仕方のないことですが、思わずにはいられません。

チェンライシーフードでは同じタラパトンに宿泊していた日本人ご夫妻と会いました;彼らは被災後に海から離れたホテルへ移動しました(その際にユリが手続きをいろいろとお手伝いしました)。彼らから聞いた話ですが、夕方けっこう大きな余震があり(私たちは気づかなかった)津波が来るのではないかという噂が流れたそうです。その話を聞いてユリとふたりで少し不安になりましたが、子どもたち、特に下のサクラが怖がるのであまり家族では地震や津波に関する話はしませんでした。

<< back  |  next >>


ページの先頭へもどる

Copyright 2002-2005, Yuri all rights reserved.