"Never ..."

空港には支給品があった/カウンターの混雑/航空チケット完売の貼り紙

ドライバーが近道をしてくれたお陰で、空港へは出発の2時間半前に到着しました。空港ではボランティアが無料の水やバナナ、クッキーなどを配っていて私たちもそれをありがたくいただきました。

各航空会社のカウンターは搭乗手続きをする人たちで長蛇の列ができていました。飛行機はどの便もほぼ満席のため、思うように飛行機の予約が取れず、床に寝転ぶ人や体中にスリ傷を負ったり骨折のためギブスを巻いているツーリストも大勢見かけました。

私たちも無事にチェックインを終えシンガポール行きの搭乗券を手にした後、早めに出国審査を受けました。搭乗待合所は座るところがないくらい大勢の人で溢れかえり、テレビから流れるCNNのニュースをみな食い入るように見つめていました。

ふと見ると白人の老婦人が私を見てニコニコ微笑みながらこちらへやってきます。誰だろう?そうだ、26日の津波のあと、タラパトンの4階の階段で一緒に避難していた女性でした。『タラパトンにいましたよね?あの後もご無事だったのですね!』

私たちは手を取り合いお互いの無事を喜び合いました。確かご主人は津波に巻き込まれ、体のあちこちから血を流しとても痛々しい様子だったのを覚えています。そのご主人も元気そうにこちらを眺めニコニコされていました。

婦人はオーストラリアのパースからプーケットへバカンスに来て被害にあってしまったそうです。ご夫婦と息子さん夫婦の4人で被災されたのですが、ケガはしたものの皆さん無事で帰国できることをたいへん喜んでいました。

『あなたはプーケットへは何回か来ているの?』私が『ええ、何度も』と答えると、『私も何度も来ているけれどもう二度と来ることはないわ、ええ、絶対に!』と首を横に振って”never”を強調されていました。彼女もまた大好きなプーケットに二度と来たくなくなるほど恐ろしい体験をしてしまったのです。

『あなたは?』と聞かれたので『今は分からない』と答えました。私はまたプーケットに来ることができるのだろうか?今は私にも分かりません。そうするうちに彼女の乗る飛行機の搭乗アナウンスがはじまったので、私は婦人に手を振りもう二度と会うことのないお別れをしました。

のぶを手記

空港に着いたときには安堵感でいっぱいでした。ユリが屋台からペットボトルの水を何本かもらってきたので「お金を払わなくていいの?」と聞いたところ「ボランティアの救援物資だから」とのこと。よくみると水のほかにもバナナや携帯食などが置いてありました。

空港の滑走路を見ると津波による被害はまったく見受けられませんでした。それどころかその向こうに見える海は平穏そのもので、同じ地にあって被害にこれほどの差があることに驚きました。もっとも空港がダメージを受けていたとしたら当然ながら予定通りに移動できなかったことでしょう。

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