離陸

見慣れぬ軍用機が滑走路に入る/出発前にタイ料理をいただきました

いよいよ私たちが乗るシルクエアー758便の搭乗時刻になりました。飛行機は予想通り満席で、約100人くらいの乗客の中で日本人は私たちだけのようでした。席に座り窓の外を見ると、いつもは見慣れない軍の飛行機もたくさん飛来していました。おそらく救援活動のためでしょう。夫も子どもたちも疲れてしまったのか、座席につくとすぐに寝てしまいました。

飛行機はいよいよプーケット空港を離陸し、眼下には小さな島々がたくさん見えてきました。乗客もみな窓に釘付けになって、自分たちが過ごした島の様子を空から眺めていました。島の海岸線は茶色く濁っていて、上空からも津波の爪あとを確認することができました。ヨットなのでしょうか?多くの白い船が沖合いに固まって係留されていました。飛行機はぐんぐん上昇し私の大好きなプーケットがどんどん遠ざかっていきます。

大きくため息をつくと涙があとからあとからあふれて来ました。

私たちは生きているんだ、もう津波を怖がらなくてもいいんだ。悲しみよりも安堵の涙でした。

離陸前に配られた新聞を読んでプーケットやピピ、カオラックで多くの犠牲者がでたことを知りました。12月23日のシルクエアー753便で”私たちと一緒にプーケットの空港に降りたったツーリストは誰もが無事に帰国することができたのだろうか?

トランジットのシンガポール空港で友たちになったソウルから来たご家族は、パパがドイツ人でママは韓国人、お子さんはソウルのインターナショナルスクールへ通っていると言ってました。

『今日のソウルはマイナス5度だったの、トーキョーも寒かったでしょう?』『早くあたたかいプーケットに行きたいですよね。お泊りはどちらですか?』と聞いた私に『私たちはカオラックに行くのよ』とうれしそうに話していました。

プーケットの到着ロビーで『Have a nice vacation!』『You too!』と別れカオラックへ向かったファミリー。ジランやサクラと一緒に搭乗待合室で楽しく追いかけっこをした男の子はまだたった2歳半でした。彼らはカオラックで津波から逃れ、ソウルに再び戻ることはできたのでしょうか?彼らの無事を願ってやみません。

2004年12月26日の朝はほんとうに美しく素敵な朝でした。その瞬間まで誰もが平和なリゾートの朝を迎えていたのです。私たちはいくつもの奇跡が重なってプーケットを脱出することができたけれど、もう二度と生きて自分の国に帰れない人たちがどれだけいることか!その人たちのことを思いまた涙があふれてきました。

それはちょっとした日程のずれだったり、その瞬間にいた場所の違いでしかなかったのです。

それはほんのちょっとの違いでしかなかったのです。

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