新幹線でお弁当を売った話

仕事の話が続いたついでに昔やったバイトの中で面白かったものを少し。
学生時代に新幹線内でお弁当販売のアルバイトをしていたことがあります。
確か大学2年の時だったかなぁ(ちなみに1年の夏休みは高原のペンションで住み込みで働いていた)、もうずいぶん前のことなので時給がいくらだったかとか詳しいことは忘れちゃったけど、今思うとなかなか貴重な体験だったなぁ・・なんて。
乗務していのは東北新幹線。上野から仙台区間が私の担当でした(もしかしたら東京まで開通していたのかもしれないけどその辺も記憶が曖昧汗
1日1往復半くらいだったかな。ノルマとかはなかったし弁当の積込み数も多くないのでいつもだいたい売り切っていました。
空いている時は普通にワゴンを押して販売するのだけど、混んでいる時が大変!
お盆とか乗車率が100%を越えている時でも売り子さんは混んでいる車内に果敢に突入しなくてはなりませんダッシュ
でもね、通路やデッキにまで人が溢れているんですよ。もちろんワゴンを押して入ることは出来ません。じゃあどうやって売ったかというと、
お弁当を5個くらい風呂敷に包んで抱えて販売させられました。(あっ、バイトの私は正社員?みたいな年上の人とペアでやっていたので、こういう不利な状況の時は私がまず最初に突入を命じられてましたあうっ
車内は混んでいても座っている人はいるので、そういう時に限ってこれまたお弁当がよく売れるんですよ。今はそんな販売はやってないでしょうね、きっと。
それから私の入った会社がたまたまだったのか、正社員?の方達はかな~り強烈な個性の持ち主の方ばかりでしたねぇ。
ボスキャラ、イジメキャラ、皆さん迫力満点でした。お約束のようにバイトでペーペーの私はイジメの対象になって涙を流したこともありました。
でも社会の厳しさがなんとな~く分かったし、お金が入るのはもっとうれしかったので頑張って働きましたよ。今思うとあの時のバイト代はアメリカでホームステイする旅費に充てたような。今も昔もお金の使い方が変わってませんねにひひ
東北新幹線ってね、各駅毎にテーマソングがあったんですよ。駅の到着が近くなるとそのテーマソングが流れて`まもなく仙台に到着します’とかね。私は福島駅の音楽が好きだったのだけど、今でもまだ音楽は流れるのかしら?懐かしいなぁ。。仙台も毎日行ってたけど、バイトは原則改札を出られないのでそれが残念でした。
この弁当売りのバイトはどのくらいやったんだろう。多分短期のバイトだったのかも。
そのあとお手当ての良い家庭教師のバイトにありつくことが出来たので、このバイトをやめたような記憶があります。
私の職歴の中でいちばん面白かった仕事はこれとは別なんだけど、それについては旅行記が終わりネタに困った時にでも書いてみようかななんて思っています。

新幹線でお弁当を売った話” への2件のフィードバック

  1. えっ!
    ゆりさんも、車内販売されていたのですか?
    私も西日本(東京-神戸・新大阪)間かな、揺れる車内で。
    お腹空いても食べれないので水で何とか空腹感を紛らわしていました、
    変なお客もいたし・・・。
    東京の寮に泊まった事もありますよ~~~。
    若いから出来るのですよね(笑)
    新しい仕事頑張って下さい。

  2. 友さん>
    何日間も一緒にいたのにお互いこの話しはしませんでしたね(笑)
    友さんは東海道新幹線でしたか!東京・神戸間だと距離も長いから大変でしたね。
    私の時は新幹線の中に小部屋?があってそこで休憩できましたねぇ。
    変なお客、特にセクハラもどきなお客が多かったのには閉口でした(汗)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)